忽那諸島の見所・過ごし方

HOME > 中島観光案内 > 忽那諸島の見所・過ごし方

忽那諸島

----------------------------------------

有人島9島を含む30島以上で構成される忽那諸島は、
春は、柑橘の花の甘酸っぱいかおりある風景。
夏は燦燦と降り注ぐ太陽と透き通った海と白い砂、そして耳をつんざくセミの声。
秋はそれぞれの島の悠久の歴史に育まれた個性ある祭り。
冬は島が黄金色に染まるみかんの季節。
そして1年をとして釣りファンを魅了する複雑な潮流によって身の引き締まった魚介類達。
そのような魅惑の島々が、
50万都市松山から最短10分で「癒しのしま体験」を提供いたします。

----------------------------------------

中島観光紹介

大浦・小浜界隈

アミアゲ・ビーチ
アミアゲ・ビーチ
人口の海水浴場。シャワー・更衣室・トイレはきれい!
バーゴラや芝生もあり快適。松山市高浜港(たかはまこう)から乗船し大浦港(おおうらこう)で下船、北へ向かって1km弱。沖には飛び込み台の浮きが浮かんでいる。波も穏やかで、潮の流れもほとんどない。

長師界隈

姫ヶ浜海水浴場
姫ヶ浜海水浴場
延長約500メートルの美しい海岸線が続く海水浴場、全国的にも有名なトライアスロン大会(8月下旬開催)の出発地点でもある。
高浜港(たかはまこう)より大浦港(おおうらこう)まで高速船で25分、大浦港(おおうらこう)よりバスで5分、長師より徒歩3分宿泊所、駐車場、トイレ、シャワーあり。

トライアスロン中島大会

神浦界隈

忽那義範公表忠碑
忽那義範公表忠碑
神浦龍神社横に建つ、「忽那義範公表忠碑」は、南北朝時代における義範の誠忠をたたえた撰文が刻まれている。忽那水軍の黄金時代を築いた義範の活動範囲は、東は讃岐方面から、西は伊予灘に至ほど。碑文中には、懐良(かねなが)親王をかくまい申し上げた忠実が記されている。
神浦港(こうのうらこう)より東へ500m。
びしゃもん堂
びしゃもん堂
通称びしゃもん堂に安置されている本尊であって、忽那義範が洛北の鞍馬寺から迎えたと言い伝えられる。
この毘沙門天像は4年毎に開帳され、住民の信仰を集めている。秘仏は4年に1回しか見られない。
神浦港(こうのうらこう)から5分程度。

宇和間・熊田・吉木・饒界隈

びしゃもん堂
やっこ振り
秋祭り(10月初旬)におこなわれている。
このやっこ行列は、青少年がやっこの衣装をつけて、賑やかに展開される。
この行事の由来は、菅原道真が九州へ配流される途中海上で時化に遭い、難を避けるため宇和間に立ち寄ったので、むらびとはその旅情をやっこ振りで慰めたのが始まりと言われている。
懐古館
懐古館
中島の西岸、浄土真宗正賢寺境内にあり、宇和間地区から移されてきた古い民家、土蔵、木造平屋建ての収蔵庫からなり、明治時代のものを中心とした、農具、漁具、生活物資、日用品など3000点余りが展示されている。
大浦港(おおうらこう)よりトンネル経由熊田方面へ4km。

ページトップへ

釣島観光紹介

釣島灯台

釣島灯台

明治6年(1873年)に竣工。設計はイギリス人、リチャード・ヘンリー・ブラントン。
釣島は周囲約2.6km、標高152mの涙形をした小さな島であり、灯台はこの島の北西、海抜60mの斜面中腹に位置。
みかんとびわ畑に囲まれて建っている。
眼下の釣島海峡は、瀬戸内海の難所の西側入口にあたる。
釣島灯台は大型船舶がひっきりなしに通う海上に、毎日日没から日の出まで白と赤交互の閃光を放ち続ける。年3回公開している。

公開に関するお問合せは

松山市教育委員会文化財課(月~金 午前8時30分~午後5時)
TEL089-948-6603

蛸漁

蛸漁

島の産業は柑橘栽培と漁業がすべて。
たこは極めて良質で、市場では高値で取引されている。

ページトップへ

野忽那島観光紹介

皿山展望台

皿山展望台

港からすぐ側、学校のすぐ後ろには、標高73メートルの皿山がある
緑に囲まれた階段の遊歩道があり、終点の皿山山頂は、映画では久里子(木村佳乃)の生家があったとされた場所。
山頂から見下ろす景色は、映画のシーンにあったとおり、まさに瀬戸内の情緒そのもの。すばらしいの一言。

ヌカバ海水浴場

ヌカバ海水浴場

野忽那港(のぐつなこう)より徒歩5分。休憩場、トイレ、シャワーあり。
7月上旬からオープン。
穴場的な海水浴場。

ページトップへ

睦月島観光紹介

夫婦楠

夫婦楠

玉善寺境内にある周囲7mもある大楠。幹が二股に分かれていることからこの名前がついた。

睦月の古民家

睦月の古民家

かつては行商の島として「伊予かすり」を売り歩く縞売りが盛んだった。縞売りの全盛期は、大正時代から昭和の初期にかけてだが睦月島の行商の足跡は全国に及び、海岸沿いには豪邸が建ち並んだようで、今でも睦月島の家は立派な長屋門を持つ家が多い。

睦月スカイライン

睦月スカイライン

睦月スカイラインとよばれる道を絶景を眺めながらめぐる四国88ヵ所めぐりと西国33ヵ所めぐりを受け継ぐミニ巡礼コース。ハイキングに最適。

ページトップへ

怒和島観光紹介

丸子鼻

丸子鼻

丸子姫の伝説。旧暦の大晦日の夜12時ごろ、丸子鼻の海上に火が灯るという伝承がある。
その昔、さる西国の大名が丸子花の沖において暴風に遭い遭難したと言う。その船には丸子姫というきれいなお姫様が乗っていたが、船と共に海の藻屑となったと言う。その日がちょうど旧暦の大晦日であった。

延福寺

  • 延福寺
  • 延福寺
  • 延福寺

元怒和

丸子鼻

毎年10月10~12日に行われる元怒和地区の行事。
青少年がやっこ襦袢に手甲・脚絆・わらじ履きの衣装で練り歩く町指定無形文化財。明治7年の厳島神社社殿の大修理の際に、藩政時代の大名行列を模した行事として生まれました。

ページトップへ

津和地島観光紹介

旗山

  • 延福寺
  • 延福寺
  • 延福寺

広島・山口の島も眺めることの出来る景色の良い山頂。
忽那氏が旗をたてて目印にしたことからこの名がついたという。

平和の碑

平和の碑

1945年8月9日の午後オダルミの浜に日本海軍の輸送船が空襲を受け、砂浜に突っ込み座礁した。
島の人たちは、身の危険をかえりみず救助活動を開始したが、船長以下63名が戦死した。
今は防波堤ができ、昔の白砂の浜を想像すらできないが、遺族や生存者が中心となって「平和の碑」を建立した。

津和地 だんじり

津和地 だんじり

秋祭りには「だんじり」が海岸通りを練り歩く。

ページトップへ

二神島観光紹介

ビャクシン自生地

ビャクシン自生地

県指定の天然記念物。
根回りが5mに達する大木を初め、数十本が城ノ山一帯に群生している。

ライオン岩

ライオン岩

「ライオンが夕日をごちそうさま」
二神島のまわりをクルージングしていると、運がよければライオン岩の口に夕日が入るシーンが遭遇できる。

宇佐八幡神社

宇佐八幡神社

嘉保元年(1094年)創祀といわれている。
応神天皇など3神をまつっている。
秋祭りの船踊りは、明治時代のはじめ、興居島から伝えられたといわれている。

ページトップへ